mini column  

TOPに戻る

ビーバーカヌー代表 小林茂雄
1998年 朝日新聞に掲載されたコラムより

カヌーとのんびり その1

低い山際に紅を差す朝焼けの午前4時、僕はかがみのような水面にそっとカヌーを漕ぎ出しました。 聞こえるのは、カヌーの舳先が水を切る音とパドルが渦をつくる音だけ。 数週間前までにぎやかだった野鳥たちのさえずりも今はなく、時折、秋に向かって食欲旺盛な鱒たちのライズする音が聞こえます。 ここは北海道かなやま湖。 清流・空知川の流れ込む山間の湖です。 僕の仕事はカヌーガイド。 皆さんを水辺の自然とカヌーの世界へいざなう水先案内人です。 今日のお供はカナディアンカヌー。 北米インディアンが狩猟や運搬用に作ったバーチバーク(シラカバ樹皮)カヌーを原点とする、ゆったりとした二人乗りです。 左岸沿いに湖の奥へ向かうと、大きな鳥がふわりと飛び立ちました。 アオサギです。 岸辺に寄る稚魚やワカサギを狙っていたのでしょうか。 魚影の濃いこの湖には、アメマス、ニジマスとともに、「幻の魚」とも言われるイトウが生息しています。 数年前、友人が底の白いカヌーを漕いでいたら、1メートルをはるかに超える巨大な黒い影が浮き上がってきた、と言います。 湖の主を自負する大イトウが、自分より大きな白い腹を見つけて威嚇したのでしょうか。 向かい風が吹いてきました。 入り江にカヌーを入れ、一休みしましょう。 コーヒーとクッキーがバスケットに入っています。 今日はどこまで漕ぐのかって? カヌー遊びの基本は、のんびりのんびり。 ゆっくりと自然の時の流れとともに過ごすことから始まります。


カヌーとのんびり  その2

釧路川は、北海道東部の屈斜路湖に流れを発し、日本最大の釧路湿原を蛇行しながら太平洋に注ぐ約百キロの大河です。 カヌーの行く手を阻むダムはなく、のんびりと雄大な自然の中、三泊四日の川旅を楽しむことが出来ます。 カヌーイストなら一度は下ってみたいとあこがれる川です。 僕は19年前からこの川を訪れていますが、特に秋の川旅が印象的です。 黄金色に色づいたアシ原からひょっこりと長い首を伸ばしたタンチョウの若鳥と目が合ったり、蛇行の中で偶然、風上から近付いてしまったため、逃げ場を失ったオオハクチョウの群れの中を「ごめんよ」と言いながらすり抜けたこともありました。 川辺のキャンプでは、真夜中に巨大な魚(サケでしょうかイトウでしょうか)の跳ねる水音で跳び起きたこともありました。 名物でもあるやぶ蚊の来襲がおさまった秋は、釧路川下りのベストシーズンです。 しかし残念ながら、最近はあこがれを裏切る川となってしまいました。 北海道開発を言う名の巨大船の引き波に洗われるように、牧草地の拡大、雇用促進のために蛇行部分は直線化され、にじみだした牛の糞尿が川を濁らせています。 河川改修の恩恵を受けたはずの地元の人達の表情も、長引く乳価低迷のためかさえません。 体一つで旅するカヌーでは、周囲の自然だけではなく流域の抱える社会問題も肌を通して感じられます。 さて重い気持ちを振り切って、今年も秋の釧路川へ旅してみましょう。 何と言っても秋の釧路は味覚の宝庫。 キャンプの夕食は、秋サケをみそバターだれで焼いたちゃんちゃん焼き、ゆでたてのバターじゃが、焼きたてをパドルにのせて振舞う炉端焼き風サンマの塩焼きで決めましょうか。


カヌーとのんびり  その3

前方から大波。 バシャ―ン。 「おっと、バランスを崩した。 右の岩にぶつかるぞ。 漕げ、漕げ、漕げ。 よーし、正面の岩の裏に回るぞ。 右、バック、バック。 よし、岩陰の逆流に入った。 休憩」 今、僕は空知川の急流の上にいます。 一人乗りのカヤックに乗って急流に揉まれているかって。 実は、若い女の子のグループと船尾の明るくたくましいガイドとともに、七人乗りのラフトボートに乗り、キャーキャー言いながら急流下りを楽しんでいます。 白波立つ急流をカヌーに乗り、波と格闘しながら下りきってみたい。 これはカヌーを初めて楽しもうと多くの人の夢だと思います。 しかしそんな急流下りの夢は、つい最近までなかなか実現できるものではありませんでした。 まずはカヌースクールに通い、パドルの持ち方、乗艇の仕方に始まり、漕ぎ方、転覆したときの起き方、流れの読み方を習います。 ようやく川にでてみたものの、白波の中、頭の中も真っ白になり、インストラクターの罵声とも思える指示も、波音で届かず、あえなく沈。 ほとんどの人の急流下りの夢は、脱出した艇とともに流れていくのでした。 ところが、初めての人にもその夢の一部を半日でかなえてくれるのが最近ブームのラフティングです。 これは英単語、文法、読み書きのできない私が外国へ行ってもだめだと思っていたのに、パックツアーで行ってみると片言英語でも楽しめたという状況に似ています。 さてもう一度ガイドの指示に従い流れに戻りましょう。 「おっと今日最大の落ち込みだ。」 ドッバーン。 「あっ、落ちる、ブクブク、ゴボゴボ、やっと水面だ。 プッハー、生きててよかったー。」 幾度か通い、急流の魅力に目覚めたら、思いきってカヌースクールの門をたたきましょう。


カヌーでのんびり  その4

カヌー旅を更に楽しく演出するのが、自然の中で食べる食事、偶然見つけた温泉、キャンプの夜のすてきな過ごし方です。 川旅の食材はできるだけ現地で調達します。 旬の魚や野菜をびっくりするような安い値段で買い、市場のおばちゃんに教わった料理法で調理します。 夕暮れに釣った魚はその場で塩焼き。 その川のにおいがします。 道東の屈斜路湖を旅したとき、カヌーでしか行けないところに天然の温泉がわき出しを見つけました。 一時間かけて付近の岩を寄せ集めて湯船を作り、その日限りの手作り露天ぶろを楽しみました。 湯温を調節するため、湖の水と温泉を草津温泉の湯もみのようにパドルでかき回しながら。 カヌー旅には積めるだけの道具しかもってゆけません。 それゆえ、あるものを工夫しながら使い、楽しむ生活となります。 二ヶ月間におよぶユーコン川(北米)下りで僕らは、ナイフとなたでカヌーの補修用添え木、しゃもじなどを作りました。 強風波浪で湖の岸の岩場に三日間停滞させられたときには、まな板とダンボール片で作った将棋で退屈をしのぎました。 カヌー旅は近未来の宇宙旅行への良きトレーニングである、という話を聞いたことがあります。 行き先の情報を事前に調べ、最小限の装備を小さな舟に積みこみ旅に出る。 旅の中では状況を把握し行動、トラブルが発生したら自分自身で解決する。 まさに小さな擬似宇宙旅行です。 さてテントの中での長話はこれぐらいにして、ポーラテック素材のフリースジャケットを羽織り、外に出て空を見上げてみましょう。 澄みきった空に満点の星空です。 冬の星座オリオンの輝きも増してきたように思えます。 明日も素晴らしいカヌー日和となるでしょう。


カヌーとのんびり  その5

カヌーを買いたいけど市販品では物足りないと思っているあなた、秋の夜長を利用して木製カヌーを作ってみませんか。 そんなことできるかって? 木と繊維強化プラスチック(FRP)を使った、比較的簡単な工夫がアメリカで開発され、日本でも北海道を中心に千艇以上の手作り木製カヌーが作られています。 製作の現場を見に、北海道新得町のカヌークラブ・サホロACCの工房を訪ねてみました。 代表の湊さんによると、この約百平方メートルの工房から5年で百十四艇のカヌーが生まれたそうです。 クラブ員の職業は公務員、銀行員、農業、OL、中学生などさまざまで、仕事帰りに立ち寄ったり、家族総出で休日に集中して来たり。 なかには神戸から泊まり込みで来た人もいました。 製作の課程を簡単に説明します。 まずガレージほどの空間を確保する。 カヌーの断面の型9枚をコンパネ(合板)から切りだし、台木の上に立てる。 幅2センチ、厚さ6ミリ、長さ3.6メートルの板、約百枚を型に仮くぎと木工用接着剤で張り合わせる。 乾いたら仮くぎを抜き、外側船体の表面をやすり掛けし、ガラス繊維を敷きポリエステル樹脂をはけで塗る(FTP加工)。 固まったら型から抜き、今度は内側をやすり掛けの後、FRP加工する。 最後にガンネル(船べり)、座席などを付けて完成です。 費用としては材料に約十万円、工具に約五万円かかります。 製作時間は約百時間。 湊さんの話では、余暇時間に通い、平均二ヶ月で完成させていくそうです。 ヨットや熱気球を手作りした友人もいますが、木製カヌーは比較的手軽に作れる最大の乗り物だと思います。 一枚一枚細い板を張り合わせ、木くずにまみれながら完成させたカヌーは、多少でこぼこでも世界にひとつの自分だけの豪華カヌーです。


カヌーとのんびり  その6

懐かしい友と久しぶりに一緒にカヌーに乗りました。 その友人は伊槻さん。 僕がカヌーを始めるきっかけを作った人です。 1980年夏、僕達はカナダからアラスカへ流れるユーコン川を千六百キロ下っていました。 四十日間の川下りの中で、僕達は川下りは人生に似ていると言う考えにたどり着きました。 流れを読み、ゆっくりながらも前向きに漕ぎ続け、はるかなる大海を目指す。 21歳の若造にしては達観していたと思います。 夏休みの期限切れで、河口までの中間地点フォートユーコンで川を離れるとき、僕らは40年後に下流半分を下ろうと約束しました。 あれから18年、僕達はそれぞれに家庭を持ち、二人ずつの子供もでき、仕事は全くちがいますが責任のある立場についています。 もしかすると僕達は今、人生の川下りの中間地点にいるのかも知れません。 9月20日はまた特別な日でした。 アメリカで現存する最古のカヌー会社オールドタウン社の百周年記念木製カヌーの進水式をしました。 このカヌーは90年前からモデルチェンジが無く、補修を重ねれば孫子の代まで使えるといわれている代物です。 実際、アメリカで70年前に作られたこのカヌーに乗ったことがあります。 カヌーは良く急流下りのスポーツとして取り上げられます。 しかし実際は、子供からお年寄りまでが自分の体力と知識に合わせて色々な形で一生楽しめる遊びです。 水の上から周りの自然や歴史を見上げたり、川旅を通じて親から子へ生きる知恵が伝授されたり。 沈没してずぶぬれになって家族のきずなが更に深まります。 さて僕も湖の上に出ましょう。 子供たちが木製カヌーの上から呼んでいます。 それでは皆さん、今度は水の上でお会いしましょう。

TOPに戻る