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モホーク
オールドタウン
スターンズ
グレイアウル
スウィフトウォーター



モホーク・カヌー
Mohawk・Canoes
               
モホークカヌーはフロリダで1964年から35年に渡り、オーナーのグレイ・レイディの一貫した経営によりカヌーを造り続け、現在では年産1万艇の規模を誇っています。 常に前進し続けるモホークカヌーは1970年代初期より現在主流となっているロイヤレックス素材のカヌーの生産を始め、1971年には他のメーカーにさきがけ、軽量な新素材R−84ロイヤライトの商品化に成功しています。 また、1996年より安全性を向上させるために、スターターズパッケージをリクレーショナルカヌー全モデルに注文装備しました。


オールドタウン
Old Town
バンガーの真北、メイン州北東部ペノブスコット川に「岩多き地」として知られる場所が
あります。 狩猟・収穫インディアンである、ペノブスコット族の名前はここからとっています。 
急流と滝ならびにこの地の容赦ない漂礫に囲まれ、そのあいだを縫って、あらゆる時代が過ぎ去ってきた深い川の流れがあります。 水は、引いては返し岸を打ち奔流となり、大西洋に向かう。 岩には、いにしえの記憶が刻まれ、川は人々の生命線であり続ける。 こうして、旅は始まります。 

深い流れは、この「岩多き地」の森に囲まれた小さな町、オールドタウンの岸辺へとあなたを誘います。 町は、19世紀初頭に遡る赤煉瓦づくりの建物と白いクラップボード(=下見板)の家々に彩られた古風なたたずまいを呈しています。 丘の上には、大きくて印象的な煉瓦づくりの建物がおびえており、厚いオーク材のドアの上方には「お帰りなさい。Old Town Canoe 
Co.」と標された看板が掛かっています。 ある意味で、ここは神聖な場所でもあります。 というのも、何百年もの間、ペノブスコット族はまさにこの場所で自分たちのカヌーを作って
いました。 インディアンの神が、特別なやりかたでこの場所に指先で触れるや、樺の皮製カヌーづくりにペノブスコット族が必要としたすべてを揃えてくれたような気持ちに襲われます。 オールドタウンがこの地にあることには意味があり、ここはカヌーそのものと言えます。

ペノブスコット族のカヌーに刺激された、地元の起業家ジョージ・グレイは、1898年自らが営んでいた金物屋の裏で、最初のウッド&キャンバス製カヌーを作るべく、地元のカヌー・ビルダーである、A.E.ウィケットを雇いました。 細部へのこだわりと品質への情熱で作り上げられた、グレイとウィケットのカヌーは、進歩を遂げ、人気も上々でした。 初期の時代の記憶はあまり残ってはいませんが、これは新しいベンチャーにむけての劇的な幕開けといえます。 しばらくの間「インディアン・オールドタウン・カヌー・カンパニー」ならびに「ロバートソン・オールドタウン・カヌー・カンパニー」という名称を経て、1903年に「オールドタウン・カヌー・カンパニー(Old Town Canoe Co.)」として法人化します。

1906年には、ウッド&キャンバス製カヌー製造に要する時間と作業量を考えれば、驚異と言うべき、月産200−400艇を作っていた、という記録が残っています。 会社は、ペノブスコット川に隣接する、それまで靴工場だった場所を買収し、増築しました。 オールドタウン・カヌー社の廊下を歩いていると、時折、時間の観念がなくなってしまうことがあります。 また、時として迷子になってしまうほど、ここは迷路となっています。 部屋に次ぐ部屋。 オールドタウンのクラシックなウッド・カヌーから、新しい「ルーン」カヤックまで。 ウッドの作業場を覗くと、そこには何人かのクラフトマンが、1910年製の13フィートの赤いキャンバス・カヌーの修理を行っていたりします。 またメインフロアーでは、二人の職人がアメリカで最も売れているカヌーである「ディスカバリー(日本名スコバー)」の製造に、特注マシーンを操作しています。 その上の3階では、当社の「カタディン」カヌー製造のために、ファイバーグラスのシートを手でカットしています。 更に上へ行くと、職人がオルトナー(ロイヤレックス・キャンパー)のモールディング(=成形)に余念がありません。 ここには、まさしく、紛れもない職人魂が今も生き続けています。

また別の記憶を辿ると、壁は鋲ハンマーやウッド&キャンバス・カヌーの出荷準備をする作業員が出す音や声に共鳴します。 事務所の裏部屋には、20万を越える製造記録が、セダー(=カナダ杉)の箱にきちんと整理されていて、1903年にまで遡る各々のカードには、出荷先の名前と住所が記載され、ちょっとしたストーリーも入っております。 

オールドタウンには今もインディアンのカヌーイング魂が息づいています。 ペノブスコット川の深い流れのように。 でも、われわれの言葉だけですべてを信用しないで下さい。 ここ、メイン州の人々は、話だけでは大した価値はないと言っています。 ですから、是非自身で実際に確かめて下さい。 これこそが、オールドタウンとは何なのかが分かる唯一の方法と言えるでしょう。 ペノブスコット川とわれわれが共有する遺産。 日々生活の中で生き続ける伝統。 オールドタウンをオールドタウンとたらしめている理由。 オールドタウン・カヌー、カヤックに乗る度に感じ、かつあなたの子や孫を分かち合っていただきたいと願っているのは、まさしくこのカヌーイングスピリッツです。




スターンズ
                        
Stearns
スターンズ社の創業は1927年まで遡ります。 ウィリアム・ヒルガ―氏がアメリカ・ミネソタ州で自動車に取りつける宣伝用の電光看板を販売し始めたのが始まりです。 この後もヒルガ―氏は自動車用のアクセサリーの開発に力を注ぎ、凍結防止のフロントガラスで成功を収めました。 この商品は透明なシートで車のフロントガラスに装着することにより、気温が下がってもフロントガラスの凍結を防ぎ、視界の低下を防ぎます。 その後会社は「ヒルコ」と改名され、1936年までには100万個の凍結防止フロントガラスを生産するまでに成長しました。 アメリカが第二次世界大戦に入ってもヒルコ社の勢いは衰えず、1943年にハワード・フラナガン氏とモーリス・オーリンク氏の両名に売却され、スターンズ社として動き始めたのです。  しかし、大手の自動車会社の参入により凍結防止フロントガラスの勢いは衰え始めました。 そこでスターンズ社は
アウトドア用品の開発に乗り出し、初のフルジッパーの銃ケースを開発開発しました。 この銃ケースは革と羊の皮の裏地に似せて作った新素材でできています。 この後もスターンズ社は寝袋、冬用のアウター、ポリエステルのジャケットなどの新しいアウトドア用品の開発にも力を入れ、二度目の成功を収めました。 しかし、スターンズ社の大成功といえばやはり、1960年代に開発されたPFDs(パーソナルフロテーションディバイス)です。 1973年にスターンズ社が開発したタイプ3PFDは斬新ですぐにその名をひろめました。 現在も常に、新しい製品の開発に力を注ぎ、PFD,ウェットスーツなどを始めとする質の高い、水上用安全装備がスターンズ社の主な製品になります。 スターンズ社の二つの工場はミネソタ州にあり、質の高いスタッフが製品を作っています。 スターンズ社の斬新なアウトドア用品は全世界の人々にその質の高さをみとめられているのです。 



グレイアウルパドル
Grey Owl Paddles
カナダのグレイアウル社は1979年創業のカヌーパドル専門メーカーです。 オンタリオの工場で年産10万本を誇る北米有数のメーカーで、その高い技術と品質は大手のカヌーメーカー各社へパドルの供給を行っていることからもおわかりいただけると思います。 あらゆるユーザーの細やかなニーズに対応するべく数多くのラインナップを持ちながら、一貫して木のぬくもりと質感にこだわり続けています。 握りやすいシャフト、そしてブレードの先端に埋め込まれたポリウレタンティップの信頼性は多くのパドラーに支持されています。